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番組案内

いしかわ大百科

2008年度

 いしかわ大百科

平成20年4月20日(日)7:30~8:00
シリーズ・百万石を支えた男たち①
『忠臣の荒子衆・村井長頼(むらいながより)』

◆◆◆ふるさとの歴史を探る30分◆◆◆
前田利家から始まる約260年の加賀藩の歴史において、
常に参謀役として藩主を支えてきた家臣たちがいます。

新年度最初のシリーズは
人持組(ひともちぐみ)」の頭として構成された
「加賀八家(かがはっか)」を代表に、
それぞれの年代で戦術、美術工芸、農改革などで尽力した人や、
加賀騒動や幕末といった混乱期に登場する人物をとりあげ、
時代背景とともに加賀藩の歴史を側面から掘り下げていきます。

◎利家がほれ込んだ男
その第1回は加賀八家の祖である村井長頼
14歳の時に尾張・荒子(あらこ、現・名古屋市)で
藩祖・前田利家に仕えた家臣、あの「又兵衛(またべえ)」です。

数々の戦場を利家と共に駆け、主君の躍進を支えた家臣中の家臣。
戦働きだけでなく弁舌もさわやかであったという長頼は、
文武に長けた人物といわれ、利家も「髭殿」と呼んで、
兄弟以上に慕っていたことをかがわせます。

また2代・利長時代には、徳川家の「謀反の嫌疑」を晴らすため
人質として江戸へ向う芳春院に同行し、
(これが後の「参勤交代」につながります)
翌年に亡くなりますが、甲冑を身にまとい、
江戸をにらんだ立ち姿のまま野田山(金沢市)に
奉られたという伝説も残るほどです。

今回は大藩・加賀藩の礎を築いた重要な家臣、
村井長頼の人物像を探ります。

利家の墓の側に鎮座する長頼の墓
長頼が身に着けていたとされる甲冑
荒子衆の魂が宿るような面持ち

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【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀

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