6月1日(日)7:30~8:00
シリーズ・百万石を支えた男たち③
『加賀の三貞 有沢一家』
◆◆◆ふるさとの歴史ロマンを探る30分◆◆◆
加賀百万石において活躍した家臣たちを紹介するシリーズ3回目。
これまであまり取り上げられることのなかった、有沢親子を取り上げます。
◎「加賀の三貞」とは?
5代・綱紀の頃、藩の兵学者として活躍した有沢永貞(ありさわながさだ)。
その息子、武貞(たけさだ)と致貞(むねさだ)も父の教えを受け、
有沢流と呼ばれる独自の軍学を築いて、「加賀の三貞」と称されました。
当時の兵学は、戦における戦術だけでなく、日ごろの立ち振る舞い、
つまり、武士としての規律ある精神と教養を学ばせるもので、
「加賀藩士、一人として有沢流学ばざるものなし」とまで言われました。
父・永貞は測量にも才能を発揮し、藩主のために自分は何ができるのかと
金沢城下の絵図を数多く残しています。興味深いのは「里程図」。
金沢から江戸、日本橋の間を網の目状に直線で結び、
「北国街道」や「中仙道」のどのルートを通っても、
9泊10日や11泊12日で終えられるように工夫された、
今でいうところのナビゲーション・システムです。
藩政時代は参勤交代という大きな任務がありました。
時には2000人を超える行列が行くとあって、「里程図」は、
経費節減を可能にしたと言っても過言ではありません。
◎今ある美術工芸を育てる
有沢は御細工奉行としても知られています。
綱紀は参勤交代で江戸から華やかな文化を持ち帰りました。
これを奨励し、藩内で作らせるために、場内に「御細工所」を設けます。
この陣頭指揮を執ったのが有沢一家です。
本来は藩主の武具やみのまわりの調度品などの
補修・整備が主でしたが、全国の名工を呼び寄せ、
幕府をもうならせる美術工芸を作り上げていったのです。
現在、金沢市では20年前に設立した「卯辰山工芸工房」が
御細工所の精神を受け継いでいます。
陶芸・漆芸・染・金工・ガラスの5つの分野で
全国から集まった伝統産業に担い手が、創作活動に励んでいます。
「天下の名品」を生み出した御細工所。
今日の石川県が美術工芸王国と呼ばれるのも、
有沢一家の尽力によるところが大きいと言ってもいいでしょう。
まさに「加賀ルネッサンス」のいしずえを築いた有沢一家を
ぜひ覚えておいてください!
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【リポーター】平見夕紀