6月22日(日)7:30~8:00
シリーズ・百万石を支えた男たち④
『十万石の家臣 本多政重』
◆◆◆ふるさとの歴史ロマンを探る30分◆◆◆
加賀百万石の歴史において活躍した家臣たちにスポットを当てるシリーズ。
今回は加賀八家の一つ、本多家の祖・本多政重です。
◎幕府とのパイプ役
加賀八家の一つである本多家は、中でも最高の五万石の禄高を誇る家柄。
その初代が加賀藩成立期に活躍した本多政重です。
政重はもともと徳川家康の重臣の次男として生まれています。
加賀藩へは2代利長によって招かれました。
政重は加賀藩に落ち着くまでに6度、主家を変えています。
初めは徳川家、次いで敦賀の大谷吉継、
そして西軍の宇喜多秀家、東軍の福島昌則に、さらに利長にも2年ほど仕え、
上杉家に行き、その後ようやく加賀藩にて本多家の祖となるのです。
関ヶ原の戦前後、加賀藩は豊臣方から徳川方への転身を図ります。
そんな中で、徳川家の重臣の家柄である政重は、
前田家と徳川家のパイプ役を期待される存在だったのです。
◎五万石の壺
加賀藩内での活躍の逸話としてとして、
本多家には「村雨の壺(別名=五万石の壺)」が伝わります。
元々は秀吉から前田家に贈られたもので、
これは利長の隠居領であった越中新川郡の領地(22万石)の
帰属問題を解決したことにより、
褒美として政重に贈られたとされるものです。
本多家の家伝によれば政重は、この働きにより五万石を加増して
禄高を合計十万石とすることを認められましたが、
固辞したので代わりにこの壺を貰い受けたと言うことです。
なので、「五万石の壺」と呼ばれたわけです。
今回は金沢学院大美術文化部教授の見瀬和雄さんと、
政重の子孫で藩老本多蔵品館館長の本多正光さんにお話を伺いながら、
本多家の庭園跡、あるいは政重所要の武具の数々などについても
紹介していきます。
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【リポーター】平見夕紀