8月2日(日)7:30~8:00
ふるさと探訪シリーズ・わが街こころの風景⑥
『石動山遺跡めぐり~中能登町~』
◆◆◆ふるさとの歴史ロマンを探る30分◆◆◆
今回は能登半島のほぼ真ん中、青々とした緑がまぶしい中能登町です。
この辺りはいくつもの古墳が点在するのですが、
古代の暮らしが今も街にいきづいているようです。
◎古代の面影を見る…
国指定史跡の「雨の宮古墳群」。
眉丈山(びじょうざん)の尾根筋に造られ、墳丘全体が茸石で覆われた
北陸地方最大級の前方後円墳を中心に、方墳、円墳など
36基が点在する古墳群です。
梅雨時期から古墳群に生い茂っているのは「苧麻(ちょま)」。
茎蒸(からむし)の古名で麻の一種です。
苧麻は古代人にとって、茎を蒸して繊維をとるための大切な植物でした。
約2000年前、崇神天皇の皇女がこの地に滞在した折、
野生の真麻で糸をつむぎ、地元の婦女子に教えた機織、
これが「能登上布」の起源と言われています。
地元の女性によって今も織られている涼しげな麻織物は、
美しい文様に仕上げられていきます。
それは中能登の美しい自然の姿をほうふつさせてくれる
だけではなく、古代の人たちの営みをも感じさせます。
能登上布会館では15人の女性たちが伝統を守り続けています。
最年長、85歳の花沢久子さんは、12歳から機織を始め、生業としていました。
今では次の世代へ技を継承する先生役として活躍しています。
「たくさん出来なくても、自分で出来ると楽しみなんや」
花沢さんのその手は、これまでにどれほどの能登上布を
織ってきたのでしょうか。
◎修験者たちが集った信仰の街
毎年7月7日は、かつて修験者たちで賑わった石動山の開山祭の日です。
参拝者はイワシガ池の霊水を汲んでお払いを受けた後、
大事に持ち帰るという風習が今も残っています。
標高564mの石動山は中世の頃、山岳信仰の霊山として崇められました。
最も隆盛を極めた頃には「坊」が360あったと言われ、
3000人もの行者たちが足を運んだといいます。
地元のボランティアガイドの方に案内され、石動山を訪ねた佐野アナ。
濃い緑に包まれ、手つかずの自然が残る山中に
修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)を奉る行者堂が建っています。
江戸時代に現存していた58の坊で唯一残った旧観坊という寺は、
農家風の佇まいでありながらも、随所に坊としての風格を残しています。
江戸時代後期の建築で20年ほど前まで住居として使われていたそうです。
これらの史跡を取り囲むブナ林は能登半島でも最も面積が広く、
この自然がありがたい霊水を育んできました。
いのちの源に支えられる中能登町の人たちは
つくづく幸せだなと感じました。
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【リポーター】平見夕紀