8月4日(日)7:00~7:30
シリーズ・近代の石川を支えた偉人たち⑥
『福祉のこころ ~小野太三郎~』
◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
高齢化が進み、また障害者の支援など
「社会福祉」の重要性が叫ばれていますが、
すでに150年前に福祉に尽力を注いだ人物がいます。
◎福祉の祖
金沢に生まれた小野太三郎(1840~1912)は
社会福祉事業を個人として日本で最初に実践した人物です。
今から150年ほど前の元治元年(1864)、太三郎が24歳のとき、
飢饉によって困窮した人々のために自宅を開放し、
自費で食事などの世話を行いました。
明治6年には「小野救養所」を開設し、目の不自由な人の受け入れ開始。
同12年にはさまざまな困窮者の救護活動を始めます。
善意の手を差し伸べた人はおよそ1万人。
「知事の名前は知らなくとも小野太三郎の名前は知っている」と
石川県民に言わしめました。
明治38年には卯辰山への移転を機に「小野慈善院」として活動を続け
生涯を社会福祉事業にささげたのです。
◎福祉の精神が今も
金沢市の「陽風園」は太三郎を園祖とする社会福祉法人。
「小野慈善院」の初代理事長として責務を全うした
太三郎のひたむきな姿は、今も脈々と受け継がれています。
当時は太三郎の施設以外で県内に福祉施設はなく、
まさに一手に引き受けていたわけですが、
職員たちは「ありがとう」という言葉に喜びを感じながら、
丁寧な介護などを行っています。
福祉部門では初となる「藍綬褒章」を受賞してもなお、
自らを自慢する訳でもなく、また著書として残す訳でもなく、
ただただ、献身的な姿を見せてきた太三郎。
その精神が今も職員たちの心の支えになっています。
73歳の生涯を終えるまでに救った人々およそ1万人。
太三郎が惜しみなく注いだ仁愛の心は
現代の社会に着実に浸透しています。
いしかわ大百科
【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀