9月1日(日)7:00~7:30
シリーズ・近代の石川を支えた偉人たち⑦
『近代医療の父 ~黒川良安~』
◆◆◆ふるさとの遺伝子を探る30分◆◆◆
近代の石川を支えた偉人たち。
シリーズ最後を飾るのは北陸の近代医療の父と呼ばれた
黒川良安(くろかわまさやす)です。
◎良安の功績
幕末の激動の時代が押し寄せるほんの少し前の1817年(文化14)、
加賀藩の医師・黒川玄龍の子として産まれた良安は、
11歳で長崎へ留学し、西洋医学(蘭学)を学びました。
同時に天文学や地理学、兵学など様々な学問を学び、
蘭学者となってからはシーボルトや
江戸時代末期を代表する医師・緒方洪庵らとも親交を深め、
後の文明開化への影響を与えたとも言われています。
医師として加賀藩に戻り現在の片町で開業すると、
翌年には13代藩主・前田斉泰の侍医となります。
そして良安の名を知らしめたのが「天然痘」との闘いです。
強い感染力を持ち、死に至らしめる「天然痘」は
世界中で悪魔の病気とおそれられていました。
良安はその予防のため、金沢に種痘所を設置。
種痘(予防接種)を行い、藩主の若君をはじめ、
多くの武士や町民の命を救ったのです。
また海の百万石として知られる豪商・銭屋五兵衛の
河北潟開拓事業で食中毒事件が起きた際、
藩の命を受けて日本初とも言われた水質調査を行い、
原因究明にあたっています。
◎若き力を育む
14代藩主・前田慶寧が金沢の卯辰山を開拓して作った
卯辰山養生所では、多くの若い医師を育成しました。
外国に負けない医学館を造るため再び長崎に向かった良安は、
オランダ製のキンストレーキ(人体解剖学の模型)を金沢に持ち帰り、
最新医学教育に大きな役割を果たすことになります。
この模型、福井県に2体、長崎県に1体あり、
金沢のものが一番保存状態がいいそうです。
パーツは100以上あり、部位ごとにラベルが貼られていて
その数は千数百にもなります。
1870年(明治3)、金沢藩医学館が創設され、
良安は教授として後人の育成に当たりました。
医学館は後の金沢大学医学部です。
医学のみならず、西洋の科学全般に精通し、
「科学者」とまで称された良安。
まさに北陸の近代医療の祖と呼ばれた活躍ぶりです。
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【リポーター】平見夕紀