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いしかわ大百科

2011年度

 いしかわ大百科

1月22日(日)7:30~8:00
シリーズ・歴史を刻んだ一族①
『能登国のルネサンス ~能登畠山氏~』

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見事な石垣が残る七尾城跡
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七尾が生んだ天才絵師・長谷川等伯

◆◆◆ふるさとの歴史ロマンを探る30分◆◆◆
今回から新シリーズ、歴史を刻んだ一族です。
一族…というと、「華麗なる…」のようになんだかものものしい感じがしますが、
第1回は能登の歴史を語る上で欠かせない、能登畠山氏です。

◎畠山文化が華開く
畠山氏はもともと室町幕府に仕えた家柄で、
能登のほか、河内・紀伊・越中の守護職を兼ねていました。

あるとき家督を継ぐはずの畠山満家将軍・足利義満に疎まれ、
弟の満慶が畠山氏の後継者となります。
その後、義満が逝去すると、満慶は家督の返上を申し入れ、
感激した満家が一旦、畠山の長となった上で、
守護職のうち能登国を満慶に譲ったのが、能登畠山氏のはじまりです。

当時の守護職は原則として、京都などに常駐していたため、
畠山氏は京都の文化人たちと交流を深め、その洗練された文化を
七尾にもたらします。

特に1467年の応仁の乱の際には、戦火を逃れるため、
多くの著名人たちが畠山氏を頼って、能登国・七尾に避難しています。
こうした歴史のいたずらが、逆に七尾の文化を華開かせることになるわけです。

七尾城下は大そう賑わい、七尾港という交通の要所でもあったことから、
北陸随一の都市として発展していきます。
畠山氏が果たした功績は計り知れないですね。

◎畠山文化がもたらしたもの
畠山文化が一番輝いていたのが7代・義総の頃です。
後にその象徴ともいえる天才画家と呼ばれた長谷川等伯が登場。
京都の狩野派に対抗できる腕前は、今も多くの人を魅了していますね。

特に最高傑作といわれる「松林図屏風」は、当時の七尾の情景を描いた
心象風景として、国宝にもなっています。

しかし、今回注目したのは、等伯の養父と思われる宗清と、
養祖父と考えられている無分の作品です。
どちらも長谷川派の特徴を垣間見ることができ、
この2人が活躍したのが、まさしく義総の頃と一致するのです。

等伯のふるさと調査を担当した七尾美術館の学芸員・北原洋子さんは、
この2人の絵の発見によって、天才・等伯が突然現れたのではなく、
ちゃんとしたバックボーンがあったのではと推察しました。

上杉謙信によって七尾城が陥落し、能登畠山氏の資料は
あまり残されてはいませんが、こうした発見から、
また新たな中世の能登の歴史が紐解かれていくかもしれないですね。

中世の七尾は北陸随一の都市
能登畠山氏を語る東四柳文明教授
京都の文化が七尾で華開く
無分筆の「涅槃図」を語る北原さん
等伯が描いた「涅槃図」(妙成寺)
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【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀

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