輪島を離れた家族…残った家族 それぞれの選択…それぞれの春

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石川 2024.04.24 19:56

能登半島地震は、多くの人々の生活を一変させました。
地元を離れる人。残る人。
多感な時期にある子どもたちもそれぞれの家族の選択により、大きな環境の変化の波に直面しています。

こちらの2枚の卒業証書。

この春、小学校を卒業した刀祢利喜人さんの卒業証書です。

1枚は、野々市市にある小学校のもの。
元日の地震の後、元々住んでいた輪島市の町野地区からの避難に伴って転校し、1か月ほど在籍しました。

刀祢利喜人さん:
「(野々市は)1クラスが40人くらいで、(輪島の)町野は全校で40人くらいだからちょっとびっくりしました」


そして…

通い慣れた輪島市の町野小学校。
この時すでに転校していたため正式なものではありませんが、特別に卒業証書が用意されました。

家族と暮らしていた輪島市は地震で甚大な被害が出ました。
特にこの町野地区は住宅の被害が目立ちます。

父・正浩さん:
「この基礎の下にいないとダメなクイがもう抜けてしまってるんだから、もう全体的に海側に傾いてます」

新築の自宅は去年12月に完成したばかり。

でも、普通に住み続けることはできなくなりました。

刀祢利喜人さん:
「たった1週間しか住んでないのに、なんかやっぱりもったいないなと悲しいのと悔しいことがある」
「もっともっと住みたかった」



母・真理子さん:
「でも新しい家のおかげで、思い出も探せたし、怪我もせんかったんで、なんか複雑ですね。ショックやけど怪我せんかった」

新たな家を建てる前まで暮らしていた家も被害を受けました。
こちらの1階部分は母 真理子さんが店長を務める飲食店でしたが、営業できない状態に。



一家は両親と子ども3人の5人家族。
真理子さんは断水が続き、学校の再開も見通せないことから子どもたちと輪島を離れることを決めました。

母・真理子さん:
「本当に逃げるじゃないですけど、行って子供が楽しい、いけそうってなったから、じゃあそうしようって。もうそれ次第で全部動く感じで」

しかし、地元の建設会社で働く父 正浩さんは、家族を支えるため、1人で輪島に残りました。


平穏な暮らしは一変。
地震が家族を引き裂きました。
その後、野々市市で借りたアパートで暮らし始めた利喜人くんたち。

輪島の友達とは、離れてしまいましたが、オンラインのゲームなどで今もつながっているといいます。

母・真理子さん:
「前までは1時間超えるとルール守れんから強制ストップやったんですけど」
「お友達と繋がるとやめろと言えなくなるっていう…」

利喜人さん:
「会えないのは寂しいけど、こうやって話したり一緒に遊べたりできるのが嬉しいです」

生活はひとまず落ち着いたもののその先の将来については不安が募ります。
母・真理子さん:
「いつまでここにいるのかずっとここにいるのか」
「いろいろ決断ができない」
「どうしようどうしようばっかりですよ」

輪島市では、元日の地震の前に700人ほどいた小学生のうち、およそ半数が地震の後、転校するなどしました。
町野小学校では、当時の6年生8人のうち、利喜人くんを含む7人が地元を離れました。
その中でただ1人残った細谷瑞羽さん。

細谷瑞羽さん:
「たまに体育とかで全校でやったりはしたけど、大体の授業は一人でした」
「一人の時は結構授業が進むから楽しい時もあるけど、難しい授業の時はやっぱりみんなでの方がやりやすいって思うので、半分半分気持ちが。楽しいのと、寂しいので半分半分です」


細谷さん一家は町野地区にある東陽中学校で避難生活を送っています。
父親が市役所、母親が地元の信用金庫で働いていることもあり、家族でとどまることを決めました。

母・智恵子さん
「仕事もあるので、そこへ行ったら仕事どうなるんかなとか、そんなんだったんで、やっぱりやめましたね、引っ越すというのは」

友達が次々と転校し、寂しい思いも。
しかし、徐々に、前向きに考えられるようになりました。

瑞羽さん:
「地元の人とかといっぱい触れ合うことができたから、その辺が良かったと思います」
母・智恵子さん:
「進路はそれぞれ別々なんですけど、それがちょっと何年間早まってしまったのかなっていうふうに考えています」

先月15日。
バラバラになった6年生たちが卒業式の日に合わせ、町野に戻ってきました。

瑞羽さん:
「震災のため離れ離れになった私たちが、こうして町野小学校の体育館で卒業式を迎えることができたのも様々な方たちの支援のおかげです」



刀祢利喜人さん:
「久しぶりに普通に話せたり会ったりできてうれしいです。地震の後卒業式できないと思ったけどできてうれしいです」
細谷瑞羽さん:
「中学校でも離れていてもまた思い出を作れたらなと思います」

少人数の学校ゆえに幼い頃からきょうだいのように過ごしてきたかけがえのない仲間。


あの地震がなければ、一緒に地元の中学校に進むはずでした。

「6年間ありがとうございました。 ありがとうございました」



そして、季節は進み、新年度がスタート。

東陽中学校には、細谷さんと一時、地元を離れていた男子、2人が入学しました。

細谷瑞羽さん
「1年から3年生までで協力して学校行事とかを楽しんでいきたいと思います」
「大変なことになったけど、復興するまで自分たちも頑張っていきたいと思います」



一方。

刀祢利喜人さんは野々市市の中学校に。
「地震が起きてなかったらこんなことにならなかったけど」
「違うところに来ても楽しく」
「また途中で転校とかそういうのもなく、普通に最後まで行きたいです」


能登半島地震から4か月近く。

まだ先の見えない中、子どもたちは前を向いて歩んでいます。