11月1日(日)7:30~8:00
シリーズ・今に残る名作③
『万葉の旅 ~折口信夫が見た能登半島~』
◆◆◆ふるさとの文学に親しむ30分◆◆◆
今回は国文学・民俗学などを主な研究分野にしながら、
既存の学問の範ちゅうに収まりきらない「折口学」という世界を
造り上げた折口信夫(おりくちしのぶ)の構想の場を訪ねます。
◎新旧・万葉の世界?
奈良時代、国司として越中(現在の富山県)に赴任した大伴家持は、
能登半島にも度々足を運んでいます。
748年(天平20)、その能登巡行で、気多大社(現・羽咋市)に
参詣した折に詠んだ歌が、万葉集に収められました。
「之乎路(しおじ)から 直(ただ)超え来れば 羽咋の海
朝凪ぎしたり 船楫(ふねかじ)もがも」
訳:はるばると羽咋の地に赴けば、
羽咋の海は朝凪ぎで素晴らしい景色である。
ここに船や楫が有れば、漕ぎ出してみたいものだ
家持は『万葉集』の編さんに携わった1人として知られていますが、
この歌が詠まれてから約1200年後、家持が見た同じ日本海の
風景を訪ね、歌にした万葉集の研究者がいました。
それが国文学、民俗学の研究者・折口信夫です。
「気多の村 若葉黒ずむ 時に来て 遠海原の音と 聞きをり」
「気多の宮 蔀(しとみ)にひびく 海の音 耳をすませば 聴くべかりけり」
訳:海の照り返す光の中に、木々の若葉がよくやく黒味を増して
初夏の気配が強くなる頃に羽咋の村里にやって来たが
ひっそりと静まりかえっている。
神社の蔀戸の辺りに立つと、その繁る青葉の彼方に聞ける
日本海の波音が聞こえるようだ
折口の足跡は羽咋市を中心に今も色濃く残されています。
生涯の中で足しげく通った羽咋市は、
折口にとって「構想の地」であり、こころの故郷でもありました。
折口が能登を訪れたのは昭和2年6月。
当時、国学院大学の教授だった信夫は、
七尾出身の生徒の言葉に興味をそそられたのと、
後に養子となる、内弟子の藤井春洋(はるみ)の存在がありました。
◎折口の能登の旅を巡る
信夫は能登でも特に羽咋市を中心に活動しています。
春洋の姪にあたる長瀬文江さんは、かつて信夫らが寝泊りした部屋を
案内してくれました。
信夫の命日には今でも関係者らが慰霊祭を行い、
その業績などを偲ぶそうです。
一方、気多大社にほど近い、能登大社焼窯元では、
慰霊祭に必ず出席するという礒見美代子さんが、
信夫の人柄をうかがえる興味深い話を聞かせてくれました。
この大社焼では、亡くなられた美代子さんのご主人の仕事ぶりを見て、
皿に歌を残していきました。
「やまびとは ろくろひきつつ あやしまず わがつく息の おおきといきを」
訳:大社窯の主は真剣にろくろをひいているので
私が後ろに立っても怪しむことなく、
私が大きな息をしても、まだ気が付かない…
このほか、羽咋の地になにかお礼をと残していった
羽咋高校の校歌の歌詞や、
後に「折口学」と称された研究や思想をひもといていきます。
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【リポーター】平見夕紀