12月13日(日)7:30~8:00
シリーズ・今に残る名作⑤
『ユウモアの先駆者 ~奥野他見男~』
◆◆◆ふるさとの文学に親しむ30分◆◆◆
シリーズ最終回は大正~昭和初期に活躍した奥野他見男です。
みなさん、この人物のこと知っていますか?
◎知られざる人気作家
毎年、年末になると、その年に流行した言葉を選ぶ
「流行語大賞」というものがあります。
ことしの大賞は予想通り(?)「政権交代」でしたね。
ほかにも政治にちなんだ「定額給付金」や
「婚活」、「派遣切り」といった時世に合った言葉も
数多く候補に挙がりました。
そんな流行語ですが、大正~昭和初期、流行語を駆使した作品を世に
送り続けた、金沢出身の小説家がいたのをご存知でしょうか。
その名は、奥野他見男(おくのたみお・明治22~昭和28)。
金沢市桜畠(現在の桜橋あたり)で生まれ、
新竪町小学校、金沢第二中学校を経て四高に入学。
この頃は野球に熱中していたそうですが、
金沢医学専門学校薬学科に入学してから執筆に精を出したといいます。
在学中には、地元の新聞に『凸坊の日記(明治43)』を掲載。
上京後、軍隊に入隊した経験をもとに書いた
『大学出の兵隊さん(大正6)』で華々しくデビューし、
一躍流行作家となります。
◎爆発的な支持を得た他見男
他見男の作風は流行語を散りばめたユニークなもので、
「銀座の資生堂でアイスクリーム…」といった
当時の若者たちの憧れの場所や食べ物、ファッションなどなど、
その目の付け所に読者はどんどんひきつけられました。
『婦女界』や『主婦之友』などにも執筆し、
新風俗を描いた作品はユウモア小説の草分けと言われました。
若者たちに絶大な指示を受け、
ファンレターが山積みになったという逸話もあるほどですが、
金沢湯涌夢二館の小林輝冶(こばやし てるや)館長によると、
「あとがき」に読者へ宛てたメッセージを載せて、
意見をどんどん寄こしてほしいと自ら書いていたんだとか。
しかもその読者の名簿まで作ってしまうほどでした。
こうした他見男の近い距離感が、さらに好感を生んだのではないでしょうか。
そんな絶大なる人気を誇った他見男ですが、
今ではほとんどの人が知らないほど、歴史から消えそうになっています。
時代を敏感につかんだ、その魅力に触れてみてください!
ちなみに文学の世界に興味を持った他見男に
多くの本を読む機会を提供したのが、「うつのみや」の創業者、
宇都宮源平でした。
当時、書店の奥の倉庫にあった本を来る日も来る日も読んでいたそうです。
この「本屋」には室生犀星も足を運んでいたんですよ。
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【リポーター】平見夕紀