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いしかわ大百科

2010年度

 いしかわ大百科

10月31日(日)7:30~8:00
シリーズ・いしかわの礎①
『観光都市のシンボル JR金沢駅』

写真
鼓門(通称・もてなしドーム)
写真
金沢駅の歴史をひもときます

◆◆◆ふるさとの歴史ロマンを探る30分◆◆◆
今回から新シリーズです。
日頃から石川県民が利用している公共の施設や建造物は、
石川県の発展や私たちの普段の生活の礎となっています。
愛着のある場所が誕生した歴史や逸話、
そして現在から未来へとつなぐ石川のあゆみをひもときます。

◎金沢駅が出来たわけ
1日約4万人が利用している石川県の玄関口・JR金沢駅は、
明治31年4月1日、「金沢停車場」としてスタート。
当時の駅前広場は陸軍出征の集合場所として整備されるなど、
物流だけではなく軍事目的として敷かれた鉄道とも言えます。

そもそも駅が作られたのは、明治27年の日清戦争がきっかけ。
当時、金沢の兵隊は重たいリュックを背負って敦賀まで4泊5日かけて、
歩いていきますが、厳しい残暑で3人が熱射病で亡くなってしまいます。
石川県の日清戦争における最初の戦死者は病死だったのです。

これを重くみた政府は、物資のみならず、
兵士の移動は鉄道を使わなくてはいけない…ということから
金沢駅が整備されたのです。

その後、金沢は戦災に遭わなかったことから、
開業以来の月毎の乗降人数や売上高など、歴代の駅長たちがまとめた
「金沢駅沿革史」が今も大切に保管されています。

元駅長の1人・谷口昭夫さんは、この貴重な歴史財産を未来に残そうと
あらためてその歴史を紐解き、まとめ続けています。

資料を見ると開業から30年目に全職員総出で、
30年分の資料をまとめたことや、第2次世界大戦の終戦を迎えた際、
アメリカ軍の進駐を予期して書類の焼却が行われたものの、
別冊として寄稿されたことなどが書き記されていました。

歴代の駅長はじめ、職員が守り続けてきた伝統を、
谷口さんは後世に伝えていくことが使命と感じているようです。

◎もてなしのこころが宿る駅舎
平成17年に完成した駅東正面の「鼓門(通称・もてなしドーム)」など、
都市の近代化・発展に合わせて、その姿を変えていった駅舎。

平成26年の北陸新幹線の開業を心待ちにしながら、
商業ビルの建設など周辺の整備がどんどん進んでいく中で、
変わらずに残っているものもあります。

駅構内の改札そばにある郵便ポスト、郵太郎
現在の駅舎は3代目ですが、2代目の駅舎が完成した際、
そのシンボルとして置かれたものです。
加賀人形の優しいまなざしが、今も行き交う人々を見守っています。

そして名物といえば、加賀白山そば
明治31年以来、すっかりおなじみとなった立ち食いそばです。
注文してからわずか1分
早くて安い評判の味があっという間に出来上がります。

ダシを入っているのは牛乳タンク
保温や持ち運びに便利なため、今も愛用されているそうです。
元々は牧場の用地を寄贈して駅が開業したことから、
乳製品などを構内で販売することを許可されたのが始まりだとか。

こうした金沢駅で感じる、どこか温かくて懐かしい雰囲気は、
もてなしのこころが宿る観光都市・金沢の象徴とも言えますね。

金沢駅は1日4万人が利用している
ダイヤは5秒刻みで見るんだとか!
多くの作家も金沢駅を舞台にした
元駅長の谷口さんが語る
歴代駅長たちが残した貴重な資料
行き交う人々を見守る郵太郎
ずっと変わらない味・加賀白山そば
写真
開業に向け急ピッチで進む新幹線の高架
写真
列車の旅っていいですよね

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【OA】日曜 午前7:00~7:30 ≫≫≫「ぶんぶんセブン」「弦哲也の人生夢あり歌もあり」と週替りで放送
【リポーター】平見夕紀

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