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Telekin Blog

テレ金ちゃんねる

テレ金ちゃんねる

芭蕉の如く(塚田)

「テレ金ちゃん」で「なぞのほそ道」がスタートしてから、1年経ちました。五七五を詠みながら、謎を解決していくスタイルでした。

今から9年前、「誉のドコ行く?」の旅を、芭蕉の旅になぞらえて、風流な水墨書画を描いて下さったのが、七尾市の村威八さんでした。
「ほめ上手で、生まれついてのお人よし、いつまでもお達者で」と、
うれしいメッセージ入りです。

新年度、私たちの番組は、新しい顔ぶれと新しい企画でお送りします。
せつなさと期待がクロスオーバーする季節、
無常の旅路を、一歩ずつ大切に歩いていきます。

歌をたずねて(塚田)

小松市一針町(ひとつはりまち)には、
「一針町公民館の歌」というものがあることを知りました。

「誉のドコ行く?」の旅で、
「この歌を聞けたらゴール」と取材を始めましたら、意外と難航。
後で聞いたところ、町の女子児童が敬老会で披露するくらいだそうで、
男子は歌ったことがなく、大人の女性も忘れているようです。
それでも、2人の男性の元町会長が懸命に歌ってくれました。
のちに、CDと資料を探して下さいました。
「きょうの一日(ひとひ)を 田に機業(はた)に」という歌詞から、
農業と繊維業が盛んな地域の個性が分かります。
取材の苦労も、人の温かさも想像以上でした。

CLOSEDとOPEN(塚田)

山中塗の蒔絵師である父・外志男(83歳)は、2017年に
自分のアトリエギャラリー「漆廊(くろう)」をオープンしました。

息子は全く畑違いの仕事ですが、大きな共通点があります。
「人に見てもらう仕事」ということです。
それにも関わらず、父の姿勢は、
私にはどうにも理解できません。
館内は見せるというより詰め込んであり、
しかも年中CLOSEDでした。

「お父さん、せっかくギャラリー作ったのに
CLOSEDはおかしいやろ」

「忙しいんや。同時進行で3作品やっとる」

「締め切りあるわけじゃないやろ。
OPENにして人を招いたら?」

「お前、やってくれ」

「こっちかって仕事あるんや。
お父さんは、若い人に見てもらって、
教えたいって言っとったがいね」

「人が来たら教える。誰も来んわ!」

CLOSEDにしとるさけ来んのや!」

こんなやりとりを3年続けてきました。
職人とか芸術家という方々は、
どなたもこういう調子なのでしょうか。
いまは、毎日ではありませんが
係の方がOPENしてくれます。

アトリエギャラリー「漆廊(くろう)」
加賀市別所町6-1 電話・FAX0761-78-1887

秋空を見上げて(塚田)

秋空を見上げて思い出すことがあります。
1989年秋、ベルリンの壁崩壊が大ニュースの頃でした。若手のアナウンサーだった私は、3歳下の妹の披露宴の司会をさせてもらいました。

私は以前、宮崎県の放送局で働いていました。石川から妹が遊びに来たのですが、私は休みが取れず、かわいそうですが、1日だけ一緒にいてやれませんでした。
仕方無く、妹は観光バスに一人で乗って、名所を周遊してきました。
ほとんどの乗客はカップルでしたが、ちょうど一人で来ている北海道出身の青年と意気投合しました。
それぞれ帰郷後も連絡を取り合い、結婚しました。
いまは、2人の子どもと4人家族で、愛知県で暮らしています。
 もし、一日でも違っていたら。
 もし、バスが一本違っていたら。
 もし、私が休みを取って妹に付き添っていたら。
 いまの妹家族は存在しません。

「誉のドコ行く?」の取材で秋空を見上げながら、大きなパワーに潔く任せることにしています。きょうはどんな人に出会わせて頂けますか。

恩師の短歌(塚田)


高校時代の恩師に再会しました。「誉のドコ行く?」で能美市徳久町を取材したときのことです。私はバドミントン部と文芸部に所属していて、文芸部の顧問だったのが、村本先生でした。社会の名物先生でした。教職を引退されても、文筆活動はお盛んで、歌集や地域の歴史書を出版されています。優しく穏やかな語り口は当時のままで、懐かしい日々がよみがえりました。
私も高校生時代、短歌を読んでいました。例えば…
「秘密一つ打ち明けられて昼下がり岩陰花の隠れ咲きおり」(誉)
大好きな村本先生の作品から一首。
「苦しみも悩みも生きてあればこそ今日も明け行く白山の峰」(村本剛彦さん)

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