蒔絵師の父は83歳でした。
最期の十日間は、本人の希望に沿って、父のギャラリーの隅にベッドを据えました。
作品の管理とギャラリーの運営をするよう、私に命じました。
そこで、まず通夜と告別式で、父の個展を開きました。
本格的な運営は将来のことになりますが、父の作品のホームページを作りました。
https://www.officehomare.com/
蒔絵師の父は83歳でした。
最期の十日間は、本人の希望に沿って、父のギャラリーの隅にベッドを据えました。
作品の管理とギャラリーの運営をするよう、私に命じました。
そこで、まず通夜と告別式で、父の個展を開きました。
本格的な運営は将来のことになりますが、父の作品のホームページを作りました。
https://www.officehomare.com/
山中塗の蒔絵師である父・外志男(83歳)は、2017年に
自分のアトリエギャラリー「漆廊(くろう)」をオープンしました。
息子は全く畑違いの仕事ですが、大きな共通点があります。
「人に見てもらう仕事」ということです。
それにも関わらず、父の姿勢は、
私にはどうにも理解できません。
館内は見せるというより詰め込んであり、
しかも年中CLOSEDでした。
「お父さん、せっかくギャラリー作ったのに
CLOSEDはおかしいやろ」
「忙しいんや。同時進行で3作品やっとる」
「締め切りあるわけじゃないやろ。
OPENにして人を招いたら?」
「お前、やってくれ」
「こっちかって仕事あるんや。
お父さんは、若い人に見てもらって、
教えたいって言っとったがいね」
「人が来たら教える。誰も来んわ!」
「CLOSEDにしとるさけ来んのや!」
こんなやりとりを3年続けてきました。
職人とか芸術家という方々は、
どなたもこういう調子なのでしょうか。
いまは、毎日ではありませんが
係の方がOPENしてくれます。
アトリエギャラリー「漆廊(くろう)」
加賀市別所町6-1 電話・FAX0761-78-1887
秋空を見上げて思い出すことがあります。
1989年秋、ベルリンの壁崩壊が大ニュースの頃でした。若手のアナウンサーだった私は、3歳下の妹の披露宴の司会をさせてもらいました。
私は以前、宮崎県の放送局で働いていました。石川から妹が遊びに来たのですが、私は休みが取れず、かわいそうですが、1日だけ一緒にいてやれませんでした。
仕方無く、妹は観光バスに一人で乗って、名所を周遊してきました。
ほとんどの乗客はカップルでしたが、ちょうど一人で来ている北海道出身の青年と意気投合しました。
それぞれ帰郷後も連絡を取り合い、結婚しました。
いまは、2人の子どもと4人家族で、愛知県で暮らしています。
もし、一日でも違っていたら。
もし、バスが一本違っていたら。
もし、私が休みを取って妹に付き添っていたら。
いまの妹家族は存在しません。
「誉のドコ行く?」の取材で秋空を見上げながら、大きなパワーに潔く任せることにしています。きょうはどんな人に出会わせて頂けますか。
「誉」という名前の由来です。
①少年時代、「出藍の誉」という言葉から、「親を超えて立派になれ」という意味であると、父から聞きました。
②20歳になったとき、父がこう打ち明けました。「以前、『出藍の誉』の話をしたが、あれはウソだ。当時、ドラマに勝呂誉と島かおりが出ていたので、兄に誉、妹にかおりと名付けたのだ」
③40歳代になって、母の故郷の津幡町牛首を取材したとき、誉さんという方に出会いました。上品で優しいその男性は、こんなことを話してくれました。「誉さんのお母さんは、私の名前を息子に付けたと言っていましたよ」
驚いて、母に電話して確認したら「うん。ほうやほうや」
きょうは57歳の誕生日。
父上、母上、ありがとうございます。
次の展開は、もうないでしょうね。